作成者別アーカイブ: 見谷内科医院

ほっこりレター ~ 一期一会の出会い ~

< 一期一会の出会い >  理学療法士 M・S

私が理学療法士を目指したきっかけは、学生時代に怪我で自身がリハビリを受けたことです。資格を取得するため大学に進学後、二年程は座学で学んだことを頭に入れることが中心で、今後この知識が本当に必要なのか、どう活かせるのか、自分に合っているのかと不安に感じることもありました。

その後、臨床での実習が始まり、現場で働く方々や、実際に患者様と関わる中で、それまでに学んできたことの点と点が繋がり、改めて自分の選んだ道は正しかったと思えるようになりました。実習の指導者から「学びも人との出会いも全て一期一会と思ってやるのが大事だよ」と言われたことが印象的で、今も意識するように心がけています。そう意識することで、気づくことや得られることの幅が広がったように思います。

実際に働き、多くの人と関わる中で、専門職としての知識や経験を積めることはもちろんですが、それ以上に、怪我や病気などさまざまな境遇の中で日々努力されている方々や周りで支える方々の姿をみて、生きていくうえで大切なことをたくさん学ばせてもらえていると心から感じています。

今後も、今まで関わってきた方々、そしてこてから関わる方々との一期一会の出会いを大切に過ごしていきたいと思います。

ほっこりレター ~ 訪問看護ステーションゆきあい ~

< 訪問看護ステーションゆきあい > 訪問看護師 R・T

みなさんこんにちは、2月から訪問看護ステーションゆきあいで勤務していますR・Tです。以前は病棟での勤務を4年間していました。

私が訪問看護を知るきっかけと看護師を志そうと思ったのは、叔母が訪問看護やショートスティを利用しながら在宅で介護している姿を中学生の頃からずっと見てきたからです。その中で私も地域に貢献できるような看護師になりたいと思いました。

そして、大好きだった祖母がお世話になった ゆきあい で働く事にご縁を感じながらお世話になったことを思い出し患者さんや家族にも寄り添って訪問看護ならではの看護の実践を心掛けたいです。

また、いつも笑顔の絶えない訪問看護ステーションゆきあいは仕事をしていてもほっとできる場所です。そんなスタッフの方と共に働く事は、看護師としても訪問看護師としてもまだまだ経験が不十分な私ですが、やりがいを感じています。よろしくお願いします。

ほっこりレター ~ 訪問看護ステーションゆきあい ~

< 訪問看護ステーションゆきあい > 訪問看護師 K・F

こんにちは、私は訪問看護ステーションゆきあいに、令和4年9月に入社したK・Fと申します。前職は病院にて外来勤務しておりました。

以前は救急外来にも勤務し、危機管理や感染管理を徹底し患者様の対応に努めてきました。こちらに入社するきっかけは、以前から地域に密着した在宅医療に貢献したいと思い、こちらの見郷会に入社させて頂きました。

業務の中で私が心がけていることは、利用者様お一人お一人皆さんお顔が違うように、一人一人生きてこられた環境や状況が違うので、その利用者様が本当に望まれている生活が出来る様にサポートさせて頂きたいと思い、日々努力させて頂いております。

現在も新型コロナウイルス感染が流行している中で、医療従事者そして利用者様自身も大変な状況ですが、感染予防対策を徹底しながら、利用者の皆様が当ステーションを利用して、健康の維持ができ、そして笑顔になって頂けるように今後も精一杯精進努力させて頂きます。宜しくお願い致します。

ほっこりレター ~ 心の栄養、身体の栄養 ~

< 心の栄養、身体の栄養 >  理学療法士 H・K

私が九州から小松に越してきて三年くらい経ちました。子供が一人増えて三人になりました。

私の社会は家の中だけから、仕事復帰をして少し広がっています。自分の居場所がもう一つあるということは有難いことだと思って日々過ごしています。毎日てんこ舞いですが、「お腹いっぱいで怒る人は居ないでしょう!」と言って、ご飯を作っています。

最近、我が家ではよく餃子を作ります。工作好きの六歳の息子が手伝ってくれます。三歳の娘は賑やかしと食べるのが専門です。一歳になった末っ子は手づかみで食べ始め、六十個がなくなります。百個作る日もそう遠くはなさそうです。

さあ、今日も「いただきます。」の声が響きます。

ほっこりレター ~ 私が看護師になるまで ~

< 私が看護師になるまで > 見谷メディカルサービス M・S

私は能登の段々田んぼの自然豊かな田舎で育ちました。祖母と両親と弟の5人暮らしで、共働きで忙しい両親にかわって、祖母が面倒をみてくれていました。大正時代産まれの祖母は、「長男がいるんだから、いずれは家を出ていかないといけない。人の為になる仕事について、自立しなさい。」と良く聞かされ育ちました。

そんな厳しい事もサラッと言ってしまう祖母でしたが、いつもは優しく、おばあちゃんが大好きで、将来は、おばあちゃんに恩返しできるような仕事はないかと小学生の頃に思っていたのが最初でした。それからは、介護施設へボランティア、その頃参加していた郷土芸能の歌を披露しに慰問したりと、介護のお仕事に触れる機会があり、介護福祉士になることが私の将来の夢でした。

高校生になり、迷いなく介護福祉士になりたいと思っていた私でしたが、母と担任の先生から「人と接する仕事は向いていると思う!でも看護師はどうや?介護施設でも働けるよ」とそそのかされ、『人のためになる仕事だし、将来介護施設で働けるなら看護師でもいいかなぁ』と単純な私は看護師に方向転換しました。

今、介護施設でのお仕事をさせていただき、いろいろな利用者様とお話をさせていただき、毎日教わることばかりです。これからは、看護師として、皆様が健康に過ごして頂けるように精進していこうと思います。これからもよろしお願いします。

ほっこりレター ~ 老々介護予行演習中 ~

< 老々介護予行演習中 > 見谷メディカルサービス さわらび  A・W

私は、昨年44年間のサラリーマン人生を終えました。実社会生活から遠のくことに恐怖心があり、ハローワークに出向きました。
持っている資格で一番使えるのは自動車運転免許証のため、送迎・運輸で探しました。長年、営業をやっていたため人との接点がないのも淋しいと思い、介護施設の送迎で検索してもらい、本施設の紹介を受けました。

面接時は介護に関しては全く知識がなく、デイケアとショートステイの違いも分かってなく、同じものと考えていたので、一時間ぐらいで終わることもありますと言われ、送迎数は少ないなと思っていたくらいです。実勤務に入り、やっと違いが分かりました。現在、人に仕事を訊ねられると、介護施設のホテル版です、と説明しております。実際デイケアと違い、毎日送迎する方や、向かう場所、方面も違い、事前の組み立て(回る順番と使用車両、座席の配分)が必要で、考えることが多く自分自身の呆け防止に役立っています。

しかし、高齢の方々を乗せての運転は神経を使い、かつ車両のサイズ、伺う先の道路事情等があり、初めのころは下見しながら胃薬を飲んでいました。慣れるに従い利用頻度の高い方とは顔見知りとなり、会話をする機会も増えました。私の91歳の母と同世代の方が多く、母との会話や接する際の参考になりました。実際の介護現場に立ち会っていると、老々介護への意識が強くなってきました。副産物として、懐かしい人との再会がありました。利用者のご家族がお見送り、お出迎えに出られ、その方が偶然、高校の同級生や知人であったことです。50年ぶりの方もいました。

最近よく思うのは、体内時計の関係で一年があっと言う間に過ぎていくように感じ、いつかは自分もこの送迎車に乗せられる立場になる、ということです。その前に、母の介護、妻の介護、または自分自身、いずれが先になるか、後になるかは時間の問題かと思っています。この施設では、働くこと以外に、高齢者と接することで老々介護の認識が強くなり、現在予行演習の真っ只中のような気がします。

日本の人口の3割が高齢者の時代、必ず自分自身も高齢者となり、日常生活に支障が出てきて介護のお世話になる時がきます。いずれにせよ、勤務させていただき、近未来の疑似体験までさせていただける貴重な職種と思っています。
今後も安全安心快適送迎をこころがけ、実務に邁進いたします。

ほっこりレター ~ 人との繋がりの大切さ ~

< 人との繋がりの大切さ >  Y・O

以前ほど騒がられなくなったとは言え、いまだ猛威をふるっている新型コロナウイルス。休日も気軽に外出するのは躊躇われ、家でテレビを観たり、スマホで動画を観たりゲームをしたりして暇をつぶす事がほとんど。

私は元々インドア派なので、このような生活も悪くはないと思えるのですが、アウトドア派の人達は耐えられないのではないかと思ったりする日々です。スマホいじりしている時間が長いぶん、私にはインターネットを通じて知り合った友人が多くいます。
その中でも、特によくコミュニケーションを取っているAさんは、面倒見が良く頼りになる存在。今年8月の集中豪雨に見舞われた際、私は親と一緒に避難所の芦城中学校へと避難し、ツイッターでその事をツイートしました。すると、Aさんはすぐさま私と親の分の衣類とタオルを宅急便で送ってくださったのです。なんという行動力。

結局、大事には至らなかったので、後日Aさんに「結果的に詐欺のようになってしまってすみませんでした」と謝罪したら、「詐欺もどきで済んで良かった」と返って来て、気が楽になりました。
人との繋がりの大切さをあらためて感じさせられる、そんな出来事でした。

もしもAさんと自分が逆の立場だったら、自分はAさんと同じように行動できていただろうか。
そんな自問に対する答えは、ノー。しかし、この経験をした事で、私はAさんをお手本にする事が出来ます。そんな事を考えながら、これからもインドア生活を楽しみたいと思います。

ほっこりレター ~ 昔の思い出 ~

< 昔の思い出 >  H・N

私は小松市光谷町に生まれ思い出を少し書いてみました。
お米や野菜類は自給出来たが、サラリーマンが少なく、主に林業で生計を立てていた。静かな山村でした。けれども薪や炭の需要もプロパン等におされて、だんだん山林収入がなくなりました。

そこで、りんごの栽培が地質も適しており、大峰の畑全部、植えることになりました。りんごは消毒の多い果実の為に、ポンプ場から各畠迄パイプを配管しました。このように設備投資して大きく期待されたが、三八豪雪のため成木が折れ倒れして全滅してしまいました。

こうなっては現金収入の道をたたれ、私の中学1年生の時に小松市今江町に出て来ました。
今は毎年墓参りと山菜取り等二~三回行くが、そのたびに子供のころを思い出します。

ほっこりレター ~ 介護士になって ~

< 介護士になって > 見谷メディカルサービス さわらび N・S

私が介護士をしようと思ったきっかけは、義母が認知症と診断された事です。以前は、知人の住所や電話番号をスラスラと言えていたので、とても信じられませんでした。

そこで心配になった私は、介護士の仕事に就きました。しかし、急に仕事を始めたせいか、腰を痛め離職することになりました。その後、腰の状態が良くなり、昨年、さわらびショートステイにパート入社し、只今、大奮闘中です。

この仕事の難しいのは、人は十人十色で皆が違うと言うことです。その為、その人の意志や気持ちを話や表情によって理解しなければ悪循環をおこします。

しかしながら、うまく介助出来たり喜ばれると、人の役に立つ事が実感出来る仕事だと言えます。
未熟で行き届かない事があると思いますが、皆さん宜しくお願いします。

ほっこりレター ~ 一年半を振り返って ~

< 一年半を振り返って > 見谷メディカルサービス さわらび R・M

私はさわらびショートステイの看護師です。早いもので、さわらびシュートステイに入職して一年半が経ちました。毎日があっという間で、時間の大切さを実感しています。

こちらに入職前は育児に専念していました。子供も少しずつ成長し自分の時間が持てる環境になり、やっぱり看護師という職業を続けたいと思い始めました。高齢者施設での経験は未経験で、コロナ禍でしたが「思い立ったが吉日」をモットーとしている私には迷いがありませんでした。看護師の先輩や、介護職員、さわらびの職員の他職種のスタッフの支えもあり順調に仕事を続けて充実した日々を過ごしています。

そしてなにより、利用者様との関わりが楽しいです。しかし、コロナ禍で今までの生活環境と違ってきています。利用者様の豊かな生活の場として安心して過ごして頂けるように感染対策を徹底し、また、ご家族の方の介護負担が軽減されてショートステイのご利用を継続できるよう看護していきたいと思っています。

さわらびでの経験を大切にし、限りある時間の中で充実した看護ができるように日々努力していきたいと思っています。